紀州藩を治めた紀州 徳川家は、徳川御三家に数えられる名家。5代藩主の吉宗は江戸幕府8代将軍にもなっています。その名門である紀州藩主の8代目は徳川重倫(とくがわしげのり)という人物です。
「倫(みち)を重んじる」という名前から、さぞ仁政を行った大人物かと思いきや、一度ブチきれると何をするかわからない、相当短気な殿様だったと記録されています。第7代藩主徳川宗将の子どもで、20歳で8代藩主となりますが、わずかな失敗を理由に、刀で20人以上の家来や侍女たちを切り殺したことが伝えられています。
彼は、体格は足の大きさ12文半(およそ30㌢)あり、この足袋を1日に25足も穿きつぶしたといいます。足の大きさから考えても、相当な大男だったことでしょう。
重倫は、その体の大きさから「大殿様」と呼ばれていたそうですが、そんな巨体の殿様の命令に誰も逆らうこともできるわけもなく、家臣は何でも言うことを聞かざるを得なかったようです。
万が一でも重倫がブチ切れるようなことがあるのなら、3尺(およそ90cm)の太刀を振りかざして御殿を駆け巡り、侍女たちの叫び声が響き渡るようなありさまだったといいます。