クジ引きで決められた元号
元号が「令和」に変わり、半年以上が経ちました。最初は新元号がしっくりこなかったけれど、そろそろ聞き慣れてきた・・・という方も多いのではないでしょうか?
「令和」という元号は、日本最古の歌集とされている『万葉集』の中の「梅花の宴」の歌の序文から引用されて候補の1つに上げられ、最終的には「元号に関する懇談会」などを経て決定しました。
ところが近代の元号の中には、 なんと「クジ引き」によって最終決定されたものがあるというのです。
いったいどういうことなのでしょう?
「明治」は改元の方法が大きく変わった時代
明治時代は、改元の方法がそれまでとは大きく変わった時代でした。明治以前は、1代の天皇につき元号が1つとは決まっておらず、天皇の在位中でも吉事や凶事の際に改元されることがよくありました。
さらに奈良時代には「天平勝宝(てんぴょうしょうほう)」「神護景雲(じんごけいうん)」など、現代ではなじみのない漢字4文字の元号がつけられたこともあります。
それが明治以降になると「一世一元の制」が定められ、元号は新天皇の即位の時に改元され、天皇1代につき1つと決められました。1979(昭和54)年には「元号法」が成立し、新元号の選定手続きについての詳細が定められます。
「漢字2字であること」「書きやすく、読みやすいこと」「過去に元号や諡(おくりな)として使用されていないこと」などの「新元号の条件」が正式に決まったのは、この時でした。