水戸黄門、実は自分では旅をせず儒学者を日本各地に派遣していた。そして助さん格さんは実在の人物

湯本泰隆

「この紋所が目に入らぬか!」のセリフでお馴染みの水戸黄門。時代劇の定番中の定番で、諸国を旅して悪人を懲らしめる庶民の味方として広く知られています。

時代劇の黄門様は助さん格さんなどを伴って毎回様々な地を訪れていますが、これは全くの作り話。実際には全国を旅するどころか関東地方を離れたこともほとんどなかったそうです。

水戸黄門 = 水戸藩2代目藩主・徳川光圀

「水戸黄門」というのは、水戸藩2代目藩主の徳川光圀の別称で、彼の本当の実績は、悪者退治ではなく史書の編纂にあります。水戸徳川家の2代目藩主だった水戸光圀は、若い頃は非行を繰り返すとんでもない“問題児”でした。

ところがある日、司馬遷の『史記』を読んだことで人生が一変します。彼は学問の重要性に気が付き、自らも史書編纂を行うことを決意します。光圀が編纂を命じた史書は後に『大日本史』と呼ばれ、幕末の尊王攘夷思想に大きな影響を与えました。

そして、その編纂資料を集めるために日本各地に「史臣」と呼ばれる儒学者を派遣したことが後の時代に『水戸黄門漫遊記』という創作物語の元ネタとなり、これが現在われわれがテレビなどで知る時代劇「水戸黄門」の元ネタとなったのです。

2ページ目 助さん格さんは実在した人物がモデル

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