北条氏康(ほうじょう うじやす)と言えば、甲斐の虎である武田信玄や越後の龍と呼ばれた上杉謙信と渡り合った関東を代表する戦国武将です。後北条氏の中興の祖として活躍したことから「相模の獅子」と呼ばれ、恐れられてきました。
しかし、意外なことに幼少期の氏康はかなりの臆病者でした。今回は氏康が臆病者を克服し、関東を代表する戦国武将として生まれ変わったエピソードをご紹介します。
鉄砲が怖い…それくらい氏康は臆病だった!
永正12年(1515)に生まれた氏康は幼少期には伊豆千代丸と呼ばれていました。父には「勝って兜の緒を締めよ」の語源となった5か条の訓戒で有名な北条氏綱。
祖父には最初の戦国大名として後北条氏を興した北条早雲だったので、伊豆千代丸は家臣たちから将来を有望視されていました。
そんな家臣たちを裏切るように伊豆千代丸はかなりの臆病者であり、12歳の時にとある事件が起きます。