読み方は「やまなみ」?それとも「さんなん」?
皆さん、新選組の総長・山南敬助を知っていますか?
「土方歳三や沖田総司なら知っている!」という方は多いかも知れませんが、山南敬助をよく知っている方となると、幕末の歴史や新選組が相当好きで詳しい方でしょう。
「局中法度」という厳しい掟が設けられ、破ったものは容赦なく粛清されるという厳しさで知られる新選組を語る上で、山南は必ず登場する人物です。
たとえば彼の名前の読み方も「やまなみ」だったのか「さんなん」だったのかすら、正確に分かっていません。
「やまなみ」説が広く知られていますが、本人の署名に「三南」「三男」というものがあることから「さんなん」の可能性もあるとされているのです。
山南敬助ってどんな人?
山南敬助は1833(天保4)年に、陸奥国仙台藩で誕生しました。
仙台藩を脱藩し江戸に出ると、小野派一刀流の免許皆伝となった後に北辰一刀流の千葉周作に師事し、更に後の新選組局長となる近藤勇の天然理心流・試衛館道場に他流試合を挑み敗れたことを機に、試衛館の門人同様に行動を共にするようになったといわれています。
1863(文久3)年に、試衛館の近藤勇らが将軍警護と尊王攘夷を目的とした浪士組に参加して京都へ入った際、31歳だった山南も一緒に上洛しました。
そして浪士組が「壬生浪士組」と名乗るようになると、土方歳三らと共に副長に就任し、新選組では局長の近藤勇、副長の土方に次ぐ総長の地位に就きます。