外国の文化や制度が大量に入ってきた明治初期。政府の役人たちは、日本に入ってきた新しい制度や風習の諸概念を、どうやって邦訳して我が国い根付かせるかということに苦心していました。
彼らがいかに苦労したのか、その一例を、“BANK”の邦訳、「銀行」という語の成立から考えてみることにしましょう。
お金の行き来を扱うんだから「金行」では?
「銀行」はお金の行き来を扱うところのはず。だから「金行」と呼んだ方がふさわしいのではないか、現在に生きる我々の感覚からは、確かにそんなような感じがします。
そもそも、「銀行」という名前は、明治 5(1872)年制定の「国立銀行条例」の典拠となった米国の国立銀行法(「National Bank Act」)の「Bank」をどう訳すか、ということから始まっています。
当時、国の役人たちは、この“Bank”をどのように日本語に訳したらいいか頭を大いに悩ませていました。役人たち同士で候補に挙がったのは、「金行」「金舗」「金司」などの造語でした。当時、「行」や「舗」には、商店・店・問屋などどいった意味があり、「司」は管理する機関を意味していました。