江戸時代の蘭学者・高野長英の逃亡を助けた越後の和算家・小林百哺(2)

湯本泰隆

前回の記事はこちら。

江戸時代の蘭学者・高野長英の逃亡を助けた越後の和算家・小林百哺(1)

天保八年(1837年)、蛮社の獄に連座して江戸小伝馬町の獄者で永牢(終身刑)に処せられていた蘭学者・高野長英。入牢してから6年目の天保十五(1844)年、獄舎に火災が起こったことをきっかけとし…

さて、無事に江戸に帰った長英ですが、嘉永3年(1850年)10月30日、とうとう江戸の青山百人町(現在の東京・南青山)に潜伏していたところを何者かに密告され、町奉行所に踏み込まれて捕縛されてしまいました。何人もの捕方に十手で殴打され、駕籠で護送する最中に絶命したと伝えられています。

その人物的評価は、勝海舟をして「高野長英は有識の士」と言わしめるほどでした。

現在、長英の生家があった岩手県奥州市水沢(旧・水沢市)では、長英は三偉人(高野長英、後藤新平、斎藤実)の一人として扱われ、地元の小学校では総合的な学習の時間で、その生涯、功績を学んでいるそうです。

2ページ目 軍功を称された百哺

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了