江戸時代の蘭学者・高野長英の逃亡を助けた越後の和算家・小林百哺(1)

湯本泰隆

天保八年(1837年)、蛮社の獄に連座して江戸小伝馬町の獄者で永牢(終身刑)に処せられていた蘭学者・高野長英

入牢してから6年目の天保十五(1844)年、獄舎に火災が起こったことをきっかけとして長い逃亡生活を始めました。6月晦日のことです。

彼は、幕府の追跡の手を逃れ逃れて、上州(群馬県)中ノ条町の門弟の蘭学医・柳田鼎宅に数か月滞在しました。翌年の弘化二(1845)年、郷里水沢(岩手県水沢市)で老母との再会を果たしました。

昭和十六年(1941)、直江津で長英の逮捕状・人相書および長英が潜伏中に土地の有力者の家で書いた「医説」が発見され、さらにその家につたわる家伝書によって、長英が直江津に二か月も潜伏したこと、また地主の舟で送られ、新潟に上陸して水沢へ着いたことが明白となりました。これは、日本史の謎を解く貴重な発見でした。

3ページ目 長英と和算家・小林百哺

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了