源義経(みなもとの よしつね)の家来として有名な武蔵坊弁慶(むさしぼう べんけい)。
その生い立ちから数々の武勇伝、義経に対する忠義の果てに遂げた壮絶な死まで、今なお語り継がれる歴史物語の人気者ですが、今回は弁慶にまつわる慣用句やネーミングについて紹介したいと思います。
慣用句として通用するには、その対象がよく知られていることが前提ですから、弁慶が人々からどのようなイメージで伝わってきたのか、慣用句から感じ取るのも面白いでしょう。
以前「日本刀」にまつわる慣用句も紹介しましたので合わせてどうぞ。
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弁慶の立往生(たちおうじょう)
立ったまま死ぬ=往生することで、現代では主に、進退に窮した状態を言います。単に「立往生」と言うことも多いです。
これは文治五1189年閏4月30日、藤原泰衡(ふじわらの やすひら)に攻められた主君・義経を守るために戦った弁慶は、全身に無数の矢を受けながら立ったまま死んだことに由来します。
いつまで経っても倒れない弁慶に恐れをなした泰衡の軍勢が足止めを喰らったため、義経が自害する時間を稼げたそうです。
弁慶の泣きどころ
向こう脛(ずね)のことで、ここをぶつける(打たれる)と、弁慶ほどの豪傑であっても泣くほど痛いと言われる急所を言います。
筆者も向こう脛をぶつけてとても痛い思いをした経験がありますが、何でこんなに痛いかと言うと、この部分は皮膚と骨の間が薄く、骨に沿って神経が通っているからだそうです。