実は盗用。太宰治文学のキャッチフレーズ「生まれて、すみません」を考えたのは太宰治ではない

湯本泰隆

青森県の名家に生まれ、井伏鱒二に師事。明るくてユーモアもある一方で、暗く卑屈な面もあり、自身があるのかないのかわからない太宰治の生きざ様を表現した名言として知られている「生まれて、すみません」

太宰が28歳のときに発表した『二十世紀騎手』という作品の副題として使用されています。

(太宰治の記事はこちらもあわせてどうぞ)

ストレートな恋心がグッとくる!言葉のプロ・文豪たちが恋人に宛てたラブレターまとめ

芥川龍之介、川端康成、太宰治。いずれも近代文学の大家、文豪です。読んだことがないという人でも、作品名くらいは知っている、それほど彼らの作品が持つ魅力は大きいですよね。小説に紡がれる文章はたしかに優れた…

発端はちょっと恥ずかしいお話?太宰治の名作「走れメロス」の元ネタと発端とは?

太宰治の『走れメロス』は、正義を貫く青年メロス、友人セリヌンティウス、暴君ディオニスと言った人物が織り成す短編小説で、今も多くの人に爽やかな感動を与えています。しかし、その元ネタと執筆した発端は、意外…

実は、この言葉、元々は太宰治自身の言葉ではなかったということはご存知でしょうか。

この言葉の産みの親は、当時、詩人として創作活動をしていた寺内寿太郎。寺内が、自分の詩の一説としていとこだった山岸外史に披露したところ、それが山岸とも交流があった太宰の耳へと伝わり、使われてしまったそうです。

今であれば、「それは盗用ではないか」「剽窃ではないか」とブーイングが起こりそうな話でありますが、この当時、山岸と太宰の間で「二人の会話に出てきた言葉は早い者勝ちで使ってもよい」という取り決めがあり、太宰はその取り決めにのっとってこの言葉を用いました。

1937年、この「二十世紀旗手」を読んだ寺内は、山岸のもとに駆けつけるなり、顔面蒼白となって「自分の生命を盗られたようなものだ」「駄目にされた。駄目にされた」と叫び、途方に暮れたといいます。

2ページ目 寺内は文学をやめ、躁鬱病に。そして失踪

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了