江戸時代に各藩の大名がお国許からお江戸まで1年ごとに交代で出仕していた参勤交代制度。歴史の授業でも当たり前に出てくるこの参勤交代ですが、実は心身ともに削られるめちゃくちゃブラックな制度でした。今回はあまり知られないその実態をご紹介します。
お金がハンパなくかかる参勤交代
さて、参勤交代はなんとなく出発したわけではなく、綿密に工程が計画されていました。それというのも、大名行列には莫大な金額がかかったため1日たりともゆるりとできなかったのです。
出費の主な内訳は人件費と宿泊代。行列を立派に見せたいけれど、家臣を連れて行くとそれこそ人件費がかさむ。そこで藩によっては安いバイトを雇って人数を足していました。
そうして揃えた大人数がいきなり宿場に押しかけても泊まれませんから、宿はあらかじめ予約していました。それだけで1日数百万円単位で飛んでいくのですから恐るべし参勤交代。
加えて1日遅れればもちろん莫大なキャンセル料が発生します。しかも遅れれば遅れるほど宿泊料が嵩んでゆくので、マラソン並の速さで行列を進めた藩がたくさんありました。
1日で50キロ!?
1日の移動距離は藩によって様々ですが、最高で1日50キロも踏破する藩もありました。現在の皇居の1周が約5キロなので、単純計算で10周もできますね。
それも今のように道は舗装されていませんし、通る道によっては坂や山道などもありましたから体力的には厳しいものでした。荷物も大量で、人によっては殿様用の風呂桶や便器(排泄物は捨てずに持って歩く)や漬物石まで持たされたり、槍や鉾を掲げたり、殿を乗せた乗り物(駕籠)を担いでいたり、おのおのとんでもない負荷を抱えて移動していました。重労働にもほどがあります。
なお、長時間乗り物に揺られているお殿様の体の負担も大変なものだったらしく、なんと体調を崩して道中で死んでしまったお殿様もいたそうです……!