「この金柑頭―っ!」
かつて明智光秀が謀叛(本能寺の変)に踏み切ったキッカケとして、主君・織田信長からの叱責(パワハラ?)に対する怨みがあったと言われています。
で、その「金柑(きんかん)頭」って、一体どんな頭なのでしょうか。
金柑≒薄い頭髪
言うまでもなく、金柑とは柑橘類の一種で、丸くて黄色く、つやの良い果実が特徴です。この丸くてつやの良い形状を、人の頭に喩えると頭髪の薄い人を指します。
それで、頭髪が薄かったであろう光秀も、信長からそう呼ばれた…というエピソードが様々な作品で描かれていますが、実際のところはどうだったのでしょうか。
最古の記録は『義残後覚』?
信長が光秀を「金柑」と呼んだ最も古い文書は、文禄五・1596~97年に成立した愚軒編『義残後覚』という寓話集とされています。そこには「庚申待ち」という徹夜イベントの最中、小用へ立った光秀に、いきなり信長が槍をとって襲いかかり、
「きんかあたま何とてさしきをたちやふるそ(金柑頭、なぜ座席を立つのか)」(※1)と詰問します。
信長にしてみれば単なる座興のつもりが、光秀は自分を亡き者にしたい本心を疑い、やがて謀叛に至った、と言われています。
しかし、この書籍は妖怪や亡霊なども登場する読み物的な性格を持っている事から、これをもって信長が光秀を「金柑頭」と呼んでいた証拠とするには説得力に欠けるでしょう。
(※1)『義残後覚』 「信長公庚申待の事 付明智日向守事」国立国会図書館デジタルコレクション より