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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第7話
■文政七年 春(3)
「他にも色々あるぜ」
国芳は「平知盛亡霊と弁慶」の絵を脇に置き、次の一枚を取り出した。
画像:国芳「吉野山の横山覚範と佐藤忠信の戦い」ボストン美術館蔵
「これア四年前くれえに描いたやつだ。義経の家来の忠信と横川覚範の吉野山での一戦」
「うわ、凄い数の矢ね」
「でもやっぱりまだまだだな!全体に灰色が多すぎた。今ならもっと色を工夫するかな」
「・・・・・・うん」
みつの伏せた睫毛が、儚げにゆれた。
目もとには、何か濃い陰翳を宿している。
国芳は少し訝(いぶか)しんだ。
「ねえ、国芳はん」
「ん?」
「あたしの目、好き・・・・・・?」
不意にみつが訊いた。
「そりゃあ、わっちゃア、大好きだ」
国芳は顔を真っ赤にしてそう言った後、にっと明るく笑った。
「そっか」
みつは溜息のような声を鼻から出した。
「あたしはこの目、嫌いなの」
「なんでだ?誰より綺麗な目だぜ」
「そうかしら。・・・・・・」
みつが口をつぐみ、この話はそれで終わるはずだった。しかしまた、女はくちびるを開いた。
「ねえ、国芳はん」、
「ん?どうした?」
国芳が見ると、みつは何か思い詰めたような意を決したような表情で、脇に寄せた絵を引き寄せた。
「この絵の海は、どんな色をしているの?こっちの船は?この空は?」
画像:国芳「平知盛亡霊と弁慶(部分)」ボストン美術館蔵
この女は何を言っているのだろう、と国芳は思った。咄嗟には理解ができなかった。
「ねえ、国芳はん」、
みつの目にみるみる大きな水鞠が膨れ上がり、そして、ぽたりと真下に落ちた。
「たんぽぽは、どんな色なの」。
国芳は胸を衝かれた。
「・・・・・・見えねえ、のか?」
国芳は驚きに身を起こし、みつの肩を掴んで面詰した。
「見え・・・・・・ないよ」
そう答えたみつの華奢な身体は、これ以上揺さ振れば脆く崩れ去ってしまうのではないかと思われた。