まさに伝説の力士!強すぎて4つの技を禁じられた江戸時代のレジェンド「雷電為右エ門」

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2018年7月22日追記:2017年大相撲名古屋場所で、関脇・御嶽海が、長野県勢では雷電以来208年ぶりの優勝を果たしました。雷電は1810年10月場所で優勝相当の成績を収めています。

4つの技を禁止された伝説の力士!

大相撲初場所、横綱・白鵬が、張り手とかち上げを禁止され、話題となりました。「あれは横綱相撲ではない」というのが、その主な理由です。筆者は白鵬の熱烈な大ファンというわけではないのですが、視点を変えれば、技を禁じられるのはそれだけ白鵬が並外れて強い力士であるということに他なりません。あの大横綱・北の湖も、現役時代は「憎らしいほど強い」と評されていました。

さて、かつて相撲界には「強すぎるから」という理由で、本来「禁じ手」には制定されていない4つの技を禁じられたという伝説を残す力士が存在しました。

雷電為右エ門とはどんな力士?

その力士の名は、雷電為右エ門。江戸時代後期に活躍した力士です。相撲ファンの皆さんの中には、名前をご存知の方も多いのではないでしょうか?

(画像出典:勝川春亭による雷電の画/Wikipedia

彼の生涯での通算黒星は、たったの10!大横綱・大鵬の生涯通算黒星が182、北の湖が350、白鵬が2018年2月現在で223ですから、この数字を見ただけでも、雷電がいかに並外れて強かったかがお分かりいただけるでしょう!

更に、1場所で2敗したことは1度もありませんでした。

信濃国小県郡(現在の長野県東御市)で誕生した雷電は、1784(天明4)年の秋に上京し、伊勢ノ海部屋に入門しました。

初土俵時の体格が身長6尺5寸(197cm)・体重45貫(169kg)と伝わっていますが、日本人の平均身長が現在よりかなり低かった江戸時代のことですから、相当な大男だったことが伺い知れます。

当時の相撲は現在とは違い、興行組織が1つではなかった上、力士はそれぞれの団体を自由に行き来できました。そのため、雷電の江戸相撲の初土俵は1790(寛政2)年11月場所ですが、その前年の1789(寛政元)年の大阪相撲で、欠場した谷風の代わりに大関として出場しています。

2ページ目 雷電が禁じられた4つの技

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