美しい外見であるために
男色が盛んだった江戸時代。男娼は陰間と呼ばれ、陰間茶屋で遊ぶ人たちもいました。
男娼がいる江戸時代の「陰間茶屋」客は男性だけではなく女性にも人気だった?
吉原に通う人がいる一方で、陰間茶屋に通う人もいました。陰間というのは男娼のことで、陰間がいる茶屋は陰間茶屋または野郎屋と呼ばれることも。全国各地にありましたが、その中でも有名だったのは芳町です。宝暦(…
陰間たちは、子供の頃から役者の候補生として舞台の芸はもちろんのこと、歩き方や夜の技法もしっかりと、いろんな芸を仕込まれています。客に喜んでもらうためには、外見においてもサービス面でも努力が必要なのです。
陰間たちは優美な外見であるために、幼少期から身体をピカピカにすることを怠りません。石榴(ざくろ)の皮を水につけて陰干ししたものを粉末状にして袋にいれたもので、毎日顔や体を磨いていたようです。鼻を高くするために、毎晩鼻を板で挟んで寝ていたとか。
床入りが基本のため、体臭のもとになる食べ物、貝類や焼いた魚、鳥類も禁止、ガスが出やすくなる芋類も禁止。食べ物まで制限があったのですね。
ちなみに衆道においては11歳~14歳が「蕾める花」、15歳~18歳が「盛りの花」、19歳~22歳が「散る花」と言われていました。成長すると男色に向かなくなり、散る花の年齢になると客は女性相手に変わります。