江戸時代のふぐ料理禁止令…でも庶民はお構いなし!ふぐ料理が法律を破って大発展

やたろう

第1回は、フグと日本人の出会いについて紹介しましたが、

食べ方いろいろ至福のグルメ「ふぐ料理」の伝統はなんと縄文時代から始まっていた

フグの旬は冬だけじゃない!?フグの旬といえば『秋の彼岸から春の彼岸まで』と言われることや、鍋ものやシメのフグ雑炊から、冬を連想する方も多いのではないでしょうか。実際、フグ料理は鍋や唐揚げなど熱い料…

今回は近世以降にフグ料理の発展についてを紹介していきます。

天下人も大あわてした、フグ料理ブームが到来!

フグが歴史の表舞台で注目されたのは、豊臣秀吉による文禄の役(1592年)、一度目の朝鮮出兵が行われた時でした。半島へ攻め込むため、各地から九州に武士を集めたわけですが、その途中の下関で騒動が起こります。

下関といえば今でもフグの一大産地ですが、当時もフグは特産であったらしく、何も知らずにフグ内臓までも煮て食べた武士達が中毒死してしまったのです。これに仰天して憤慨した秀吉は『この魚食うべからず』と御触れを出すことにしました。

この秀吉とフグにまつわる逸話が、江戸期におけるフグ禁止令の先駆けであり、当時フグを煮て食べていたことを今に伝えています。

武士はフグを食うべからず!

豊臣政権が滅んで徳川幕府が開かれても、秀吉の命令に端を発するフグ禁止令は長く続きます。特に武士へのお達しは厳格を極め、フグ毒で死んだ場合は家禄没収や家名断絶などの厳罰で臨んでいました。主君に捧げるために命は取っておくべきなのに、フグと引き換えに死ぬのは許し難いことだったのです。

また、フグは毒に当たると死ぬことから、主に西日本で“鉄砲”、“てつ”と呼ばれていました。今ではフグ鍋をてっちり、刺身をてっさと呼びますが、それはフグを指す隠語が鉄砲だった頃の名残なのです。

2ページ目 庶民はこっそりフグを食べる。解毒剤は…夏野菜のアレ

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