知らない誰かの成仏を祈る。化野念仏寺の千灯供養

Japaaan編集部

化野。「ばけの」ではありません。「あだしの」と読みます。京都嵐山の北西、清涼寺から愛宕山への情緒溢れる古道を登った先にあるエリアの名前です。

「化」という字が何ともいえないインパクトを放ってますが、そのインパクトに似つかわしいというか、もともとこのあたりは葬地でした。土葬が一般化する前の平安時代から、葬地でした。となれば、当然ながら放置されるものが放置されたのであり、散乱するものが散乱してたのであります。で、これを不憫に思い土葬化を進めたのが、かの弘法大師・空海。で、さらに念仏道場を建てたのが、かの法然上人。そんな経緯で化野には、ある種の好き者を吸い寄せまくる「化野念仏寺」が生まれました。

土葬が定着したとはいえ、100年単位で葬地をやってると、埋まってたものが地表へひょっこり顔を出すなんてことも、ありがちです。素性不明の石仏なんてのも大量に出土して、明治の中頃にはその数、数千にも及びました。化野念仏寺ではこれらを無縁仏として供養するため、西院の河原なるものを境内に設置。8月23・24日にはそれらの無縁仏にロウソクを供える「千灯供養」も始めました。


千灯供養が行なわれる頃の化野は、強烈です。特に夜は、強烈です。強烈さを中和させたいのか、同期間には地元保勝会による「愛宕古道街道灯し」なるライトアップイベントが開催されますが、強烈さ、全然薄れてません。むしろ、手作り&ほのぼのとした行灯が、よけいに寂寞と舌ムードを盛り上げてるというか。

霊気溢れるというより、もう霊気しかないような、夜の西院の河原。そこに密集する石仏たちの中から、自分の好みの仏にロウソクを供える。名前はおろか、顔も形も最早あやふやになった石仏。しかし、こちらへ何かを確実に伝えてくる石仏。奇妙な経験ではあります。


「化野」の「化」は、お化けという意味ではなく、再生や成仏への願いという意味もあるそうです。特定の誰か、顔の見える誰かだけではなく、どこの誰とも知らない人の霊と、願いを分かち合う。あるいは、分かち合えるかどうかを、試してみる。その経験は、単なる供養の枠を越え、生きてる人間の生そのものも豊かにしてくれるかも知れません。

あだし野 念仏寺 – 公式

化野念仏寺 – Wikipedia

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