祇園祭には、還幸祭なるものがあります。いや、神輿が出る祭りにはたいてい還幸祭があるわけですが、祇園祭も神輿の巡行が行なわれる以上、しっかりと還幸祭が行なわれます。日程は、7月24日。山鉾巡行のちょうど1週間後です。というより、山鉾巡行当日の夜に行なわれる神幸祭の一週間後と言った方が、本来的かも知れませんが。
祇園祭が元々は「祇園御霊会」と呼ばれていたことは、割とよく知られています。梅雨明けの時期に怨霊を慰撫し、疫病の流行を防ぐ平安時代の「御霊会」として始まったため、この名がつきました。この「祇園御霊会」の名が持つ「千年以上続く祭り」の意義を、文字通りの形で残してる神事のひとつが、還幸祭です。
山鉾巡行が祇園祭の主役となる前は、この還幸祭こそが祭の華だったとも言われます。神輿に付き添う華美な行列が貴賎を問わず高い人気を呼び、かつて「祇園御霊会」という呼称は、そのまま還幸祭のことを指していたとか。平安末期の院政期には特に華美を極め、白河院や鳥羽院、そして芸事が好きな後白河院も、三条通に桟敷を構えて見物しました。
還幸祭は神幸祭と同じく、三基の神輿の巡行をメインとして行なわれます。しかし、そのルートは大きく異なり、還幸祭では数キロに及ぶ長大な距離を巡行。何故そんなに長くなるかといえば、神輿が祇園祭発祥の地・神泉苑へ立ち寄るからです。
平安時代は皇族の禁苑であり、現在もなお当時のままの池の水が残ってると言う、神泉苑。祇園祭のルーツである御霊会は、ここで行なわれました。その場所へ、祇園さんの神輿が挨拶へ行くわけです。他にも、秀吉によって移動させられた御旅所の跡・大政所や、かつては神泉苑の池の汀だったという三条御供所などに、神輿は立ち寄ります。千年の歴史と現在が、まっすぐに繋がるのです。
現在の還幸祭は、下手するとガイドブックに紹介さえされないくらい地味な扱いですが、氏子さんと住人の情熱は冷めることはありません。すっかり日常に戻った京都の街を、とんでもない人数の神輿行列が練り歩き、近所の人たちが沿道でその様を見守ります。このあたりにも、千年の歴史と現在の繋がりを感じさせてくれるのです。