祇園祭はまだ終わってません

Japaaan編集部

先日京都では、祇園祭の山鉾巡行が無事に行なわれました。先週まで雨続きだったのにも関わらず、当日は晴れ過ぎるくらいの晴れ。今年142年ぶりに唐櫃で巡行へ復帰した大船鉾を含め、33基の山鉾は酷暑の中を堂々と巡行。つめかけた多く見物客に、その威容を存分に見せつけていました。

しかし、山鉾巡行が終わったからといって、祇園祭が終わったわけではありません。山鉾巡行当日の夕方に行なわれた神幸祭はもちろん、その一週間後に行なわれる還幸祭、その日の午前中に行なわれる花傘巡行など、まだまだ神事祭礼のスケジュールは残ってます。


中でも花傘巡行は、山鉾巡行と縁の深い神事といえるでしょう。そもそも山鉾巡行は、17日と24日の2回に分けて行なわれていました。17日が「さきのまつり」、24日が「あとのまつり」。「さきのまつり」の巡行は神幸祭の神輿の露払いとして、「あとのまつり」は還幸祭の露晴らいとして。それぞれ山鉾の発生当初からつい最近まで続いてきたのです。

が、現代に入り車の交通量が増加すると、この「2週またぎ」の巡行は問題化。京都市の最中心部、それも観光というよりビジネスの最中心部といえるエリアが2週続けて封鎖状態に陥るのを、高度経済成長期の京都はよしとしませんでした。紆余曲折ののち、昭和41年に山鉾巡行は17日の「さきのまつり」へ一本化。失われた「あとのまつり」復活の動きはあるものの、一応現在もこのフォーマットが継続しています。


24日の花傘巡行は、この失われた「あとのまつり」の代理とも言える神事です。還幸祭の露払いが消滅したことを懸念した八坂神社側が、何らかの神事を要求。どうせならと、山鉾の原型と言われる花傘による行列を復活させ、山鉾巡行一本化と同じ年に始まりました。

山鉾巡行が女人禁制の「男」の祭りだとすれば、花傘巡行は花街の芸舞妓さんから鷺踊の少女まで、女性が大活躍するいわば「女」の祭り。花傘はもちろん、京都の繊維業者たちが気合を入れてバックアップしてる華やかな衣装もまた、見ものです。また巡行後には、八坂神社の舞殿にて芸舞妓さんを始めとする芸能奉納も行なわれます。

祇園祭は、まだ、終わってません。

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