室町時代に活躍した女性・今参局(いままいりのつぼね)は、室町幕府八代将軍足利義政の乳母として知られています。
また、日本史で始めて切腹をした女性としても知られています。将軍の乳母でありながら、日本史史上初の切腹をした女性、それだけで壮絶な人生を歩んだことがうかがえますが、実際どのような生涯だったのでしょうか。
今回は今参局の生涯を紹介し、切腹の理由を紐解いていきます。
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将軍家と密接な関わりがある一族の生まれ
今参局は応永11年(1404)に大館満冬の娘として生まれたとされています。通称としてお今と呼ばれていたようですが、本名は残念ながら不明。
父は足利義満から偏諱を受けていることから、足利政権では信頼が厚かったことがうかがえます。
なぜ、そこまで信頼が厚かったのかというと、大館氏は新田氏の重臣として仕える新田氏一門の一族でしたが、大館義冬が室町幕府に仕え治部少輔に任命されたことがきっかけとなっています。
そこから将軍の親衛隊である5ヶ番衆の第5番衆の番頭を代々務めるようになりました。そのような経緯もあったことから、今参局も足利義政の乳母に就任できたと考えられています。
義政の乳母という揺るがない地位を確立した今参局は、義政が室町幕府八代将軍に就任すると、次第に幕政へ深く関与するようになります。
その影響力の大きさから、いつしか義政の寵臣である烏丸資任(からすまる-すけとう)・有馬元家(ありま-もといえ)と共に三魔と呼ばれるようになりました。
