破格の食事代
文久年間に横浜で始まった牛鍋屋は、まさに文明開化の象徴でした。実はこの日本の肉食文化、かのペリー艦隊との料理を通じた文化交流とも大きく関わっていました。
今回は、「黒船」で有名なマシュー・カルブレイス・ペリーと日本の肉食文化の意外な接点について、興味深いエピソードをご紹介します。
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嘉永7年、ペリーらを迎えた幕府は、江戸の老舗料亭・百川に接待料理を依頼しました。
2月10日の横浜応接所での宴会は、日米和親条約締結という歴史的瞬間を彩る重要な外交行事でした。
この時の献立は、瓦版『武州横浜於応接所饗応之図』に詳しく記録されています。
そのメニューは鯛の尾頭付き膳をはじめ、吸物、刺身、蒲鉾、伊達巻、車海老、鶏卵など、山海の珍味が並びました。
この料亭・百川の百川茂右衛門が請け負ったこの料理は、総額二千両、現在の価値で約1億5,000万円という破格の費用でした。
ちょっと目を疑う数字ですが、ちゃんと記録も残っています。
一人前の料理は90品目に及び、食器は総計5万器を使用。一人当たり三両、現代換算で約30万円という豪華さです。
それがアメリカ側の300人、 それを接待する日本側の役人 200人、合計500人分が用意されたのですからこの金額になるのも無理はありません。
