日本は何を恐れた?日本書紀に記された“国防の要”、古代山城「金田城」の正体とは?

雲川ゆず

日本には、古くからさまざまなお城が築かれてきましたよね。日本史好きの方のなかには、「特にお城が好き!」という方も多いのではないでしょうか。

今回の記事では、そんな数ある日本のお城のなかから、「金田城(かねだじょう/かなたのき/かねたのき)」というお城(現在は城跡)について紹介します。

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金田城とは?

金田城は、長崎県対馬市(対馬国下県郡)にあった日本の古代山城(朝鮮式山城に分類される)です。近世期までに城の所在は失われていましたが、現在、城跡は国の特別史跡に指定されています。

対馬の中央には、浅茅湾(あそうわん)という湾があります。金田城は、その湾に南から突き出した岩塊の山・城山(じょうやま:標高276メートル)があり、そこに築かれました。

城山を一周するようにめぐらせた石塁(せきるい)が特徴で、城壁の延長は約2.2キロメートルあります。残存箇所は最長で49.3メートルあり、これは古代山城のなかでトップクラスの石塁となっています。

金田城の歴史:古代

金田城は、奈良時代に編纂された歴史書『日本書紀』にその名前が記されています。『日本書紀』によれば、「天智天皇6年11月、倭国(やまとのくに)高安城(たかやすじょう)、讃岐国(さぬきのくに)山田郡(やまだのこおり)屋嶋城(やしまじょう)、對馬国(つしまのくに)金田城(かねだじょう)を築く」という記述がみられます。

天智天皇6年は西暦で667年にあたるのですが、これが城の建築が始まった年なのか、完成した年なのかについては、明確にわかっていません。

城が築かれるきっかけになったのは、当時の朝鮮半島の情勢でした。660年(斉明天皇6年)に倭と交流のあった百済が唐・新羅の連合軍により滅亡したことでした。援軍として向かった倭国軍も、663年の「白村江の戦い」で大敗してしまいます。

このことから、唐・新羅の連合軍が攻めてきたときに備え、対朝鮮半島の国防の最前線として金田城が築城されたのです。緊張感がただよっていたことがわかりますね。

なお、金田城とともに『日本書紀』に記述がみられる屋嶋城や高安城をはじめ、九州から瀬戸内海の各地に、防衛のための拠点が築かれていきました。

金田城跡

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