「りんご」は日本古来のもの?欧米のもの?誰が、いつから栽培したの…?日本りんご史に迫る【後編】

明治の「2強時代」へ

【前編】では、知られざる日本産リンゴ「ワリンゴ」と、欧米から輸入された現在一般的なものとなっているりんごのそれぞれの歴史を見てきました。

「りんご」は日本古来のもの?欧米のもの?誰が、いつから栽培したの…?日本りんご史に迫る【前編】

「ワリンゴ」とヨーロッパ産リンゴ私たちが普段当たり前のように口にしている食べ物にも、意外な「歴史」があるものです。今回は、多くの人が好きなフルーツであるりんごの歴史にスポットを当ててみましょう。…

【後編】では、明治末期以降の日本のりんごの歴史と、現在も成長し続けている国内で最も古いりんごの樹についてご紹介しましょう。

明治期初頭の、りんご栽培の歴史を前編では説明しましたが、その後、明治末期からは「国光」「紅玉」の2強時代に入ります。

いずれも明治末のアメリカ産品種で、それぞれ市場のりんごの30~50%を占めました。この状態は昭和30年代まで続くことになります。

ちなみに、明治初期に導入された他のりんごの品種としては、柳玉・倭錦・紅絞・祝・旭といったものがありました。

その後は1922年(大正11年)に歴史的大豊作となり、生産量が250万箱を突破。これを機に1928年(昭和3年)には青森県農試園芸部で品種育成が始まります。

これ以降、各地で品種改良がさかんに行われるようになったのです。

価値暴落、環境悪化…りんごの受難

次に、昭和後期から現在にかけてですが、1963年にりんご生産に大きな影響を及ぼす出来事がありました。バナナの輸入自由化です。これにより、りんごの売り上げが急に下がります。

また1966年にはみかんが大豊作となり、ここでもりんごの価格が暴落。さらに1968年には暴落した「国光」「紅玉」が山や川に大量に捨てられてしまうという出来事もありました。

1960年代は、国内のりんごにとっては受難の年だったと言えるでしょう。

が、その後は盛り返します。1975年頃には「ふじ」「デリシャス系」が主要品種として登場。「ふじ」はこの後も栽培面積、生産量とも50%近くを占め続けます。

1980年代後半には「ふじ」につづき、「つがる」「王林」「ジョナゴールド」などが主力となり、現在に近い品種構成になりました。新しい国内育成品種も次々に登場しました。

ただ、現在は地球温暖化の影響で、品種によっては従来通りに作り続けるのが難しくなっています。

例えば「ふじ」は寒冷な環境を好むため、温暖化が進む現在では、りんごの産地と呼ばれる場所でも作りにくくなっています。反対にジョナゴールドは温かい環境でも比較的作りやすいようです。

りんごの産地と主力品種は、今後大きく変わっていくかも知れません。

2ページ目 最古のりんごの樹

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