戦国武将たちは合戦のさなか敵味方をどう区別した?源平の時代から続く武人たちの苦労と工夫

敵味方でマーキング

戦国時代を舞台にしたドラマなどを見ていて、多くの人が一度は感じる疑問として戦場で敵と味方をどう区別していたのかということが挙げられると思います。

戦国時代は、合戦ともなれば混戦状態になるのが常だったので、武将たちは何とかしてその中で敵味方を識別しなければなりません。では、一体どうやっていたのでしょう。

答えは簡単で、それは「印をつける」ことでした。

まず、源平の戦いの頃は、旗の色を紅白に分けることで敵味方を区別していました。

源氏と平家を旗頭とする勢力が二つに分かれて戦っているわけですから、単純に源氏方を白、そして平家方を赤とするだけで両者を見分けることができたのです。

関連記事:

お祝い事の「紅白」のルーツ!?なぜ「源平合戦」で源氏は白、平家は赤の旗を掲げたのか?

源氏は白、平家は赤1180年(治承4年)に、源氏と平家が一族の存亡をかけて戦った源平決戦。このとき、源氏は白旗を掲げ、平家は赤旗を掲げましたが、この色分けは旗以外にも及んでいました。[ca…

武家の旗印が増えていく

ところが、時代が下るにつれて、旗を二色で分けるだけでは対応できない場面が増えてきました。

特に南北朝から室町時代にかけて政治情勢が複雑になってくると、たとえ同族でも敵味方に別れて戦うケースが増えてきたのです。

そうした戦乱の世では敵味方の識別が命取りになることも多く、何より同士討ちは絶対に避けなければいけません。旗を二色に分ける以外の、分かりやすい識別方法が求められました。

すると、よりわかりやすい目印が求められるようになり、武家の旗印家紋は急速にその数を増していきます。

旗印や家紋は、各家の誇りと伝統を象徴するだけでなく、戦場での識別においても重要な役割を果たしたのです。

例えば同族同士で戦う場合は、片方が旗印を変えるなどして敵味方の区別をつけていました。

2ページ目 美意識の高まり

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了