冬になり、インフルエンザや風邪など、さまざまな病気が流行っていますよね。現代はいろいろな薬がありますが、江戸時代に一世を風靡した「反魂丹(はんごんたん)」という薬をみなさんは知っていますか?
文字面だけを見るとなんだか恐ろしそうな名前ですが、いったいどのような薬なのでしょうか。今回の記事では、そんな反魂丹や、江戸時代の富山の薬売りについて詳しくご紹介していきたいと思います。
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「反魂丹(はんごんたん)」とは?
「反魂丹(はんごんたん)」とは、江戸時代に一世を風靡した薬です。その起源は江戸時代中期までさかのぼります。どのように伝わったのかについては諸説ありますが、岡山の万代常閑(まんだいじょうかん)という医者から、富山に伝えられたという説が有力です。万代常閑は、富山では「越中売薬の祖」として知られています。
反魂丹の形状は丸。どのような病気にも効く万能薬だとして知られていました。
反魂丹を広めた人物は?
反魂丹は、名前の表記こそ多少違うものの、各地で扱われていました。ほかの表記としては「返魂丹」などがありました。しかし、富山売薬が江戸中期に全国へ薬売りの範囲を広げ、反魂丹が定着していったことを理由に、反魂丹は富山売薬の代名詞となりました。
反魂丹を全国に広めたのは、富山藩二代藩主である前田正甫(まえだまさとし)という人物。元々腹痛持ちだった彼は、家来の日比野小兵衛から反魂丹を貰い、症状が改善したことをきっかけに、城下の薬種商・松井屋源右衛門に製造を命じました。
そして、前田正甫が江戸城に行った際、具合が悪くなった他の大名に反魂丹を与え、症状が良くなったことで、その効果が他の大名たちにも知られることになりました。