「走る街頭テレビ」、走り去る。京阪テレビカー、ラストランへ

Japaaan編集部

京阪のテレビカーが、なくなるそうです。と言われても何の話かわからない方のために説明すると、京阪のテレビカーというのは京阪電車のテレビを積んだカーということになります。もうちょっと細かく言うと、京都と大阪を結ぶ関西の私鉄・京阪電車が運行していた、テレビが見れる特急車輌ということになります。

何故そんなもんを走らせていたかというと、京阪は競合路線に対して所要時間が長かったからです。何故長かったかといえば、線路にカーブが多かったからです。何故カーブが多いかといえば、真っ直ぐ走れる所には既に国鉄・現在のJRが走ってたからです。でも我慢できなくなり、国鉄の近くに新線を作ったのは、国鉄より早い電車を走らせる技術を持ったからです。わざわざダイヤを調整し、これ見よがしに国鉄特急を抜きまくったのは、たぶん調子に乗ってたからです。のちに戦後のドサクサでその自慢の新線を阪急に持ってかれたのは、おそらく自業自得、ではなく単なる悲運です。


カーブだらけの路線だけでやっていくことになった、戦後の京阪。国鉄に加え、昔の自社優等路線までが商売敵になりました。不利です。スピード競争はとっとと諦め、付加価値路線を進むこととなります。で、そのひとつがテレビカー。スピードは遅いけど、テレビを見ながらゆっくり京阪間を移動できますよ、と。1954年、またテレビの放送が始まったばかりの頃でした。

まるで昭和の動態保存のような由来を持つ、テレビカー。言うまでもなく、歳月を経ると共に有難味はなくなり、まともに見てる人間は皆無になりました。が、意外といっては失礼ですが、テレビカー、地デジ化の波は乗り切ってたりします。トドメを刺したのは、携帯、特にスマホ。本当に、完全に、見る人がいなくなりました。「みんなのテレビから、一人ひとりのテレビへ」。昭和後期さかんに言われたようなことが、平成の真っ只中で起こったわけです。

2009年からテレビの撤去は進んでましたが、いよいよ2013年春でテレビカーは完全に引退。かつて「走る街頭テレビ」とも称された、昭和の名残。堪能するなら、お早めに。

(Photos by Gya-tei@PHOTOZOU.JP

旧3000系特急車~ラストランに向かって~京阪電気鉄道株式会社

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