あなたの「前方後円墳」の描き方は間違い!?江戸時代にあった古墳の築造に関するトンデモ説

歴史 好き太郎

前方後円墳とは

古墳の一種である前方後円墳。一般的には、日本の古墳時代に築造された、特定の形態の墳丘墓を指す歴史用語です。別称を「高塚」「墳丘墓」ともいいます。

前方後円墳はその古墳の形式のひとつで、円形の主丘に方形の突出部が接続する形で、双丘の鍵穴形をなすものです。

この形式の古墳は、主として日本列島で三世紀後期から七世紀初頭頃にかけて築造され、日本列島の代表的な古墳形式として知られています(ちなみに畿内大王墓は6世紀中頃までに築造されたものとされています)。

あなたはどう描く?

ところでこの前方後円墳を絵に描くとしたら、皆さんはどのように描くでしょうか。

多くの人が鍵穴・こけし・てるてる坊主に似たデザインで描くことになると思いますが、いずれも、円と方形を組み合わせた形であることは共通しています。

これらを紙に描く場合は、円を上に、そして方形を下にもってくる人がほとんどだと思います。この場合、感覚としては「円が前、方形が後ろ」となるでしょう。

ちなみに前方後円墳を英語でいうと、ズバリ「鍵穴形」を指すkeyhole-shaped となります。

しかし、よく考えてみて欲しいのですが、こと前方後円墳に関しては、これを逆さに描かなければなりません。そうしないと前円後方墳になってしまうからです。

前方後円墳と呼ぶ以上、これを描く際は円が後ろ(下)で方形が前(上)になるのが正しいと言えるでしょう。

では、昔の人が実際に前方後円墳を築造する際、その前と後ろはどうやって決めたのでしょうか。

2ページ目 江戸時代のトンデモ説

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