「平家」の女性たち
平安時代末期、栄華の頂点を極めた平家一門が壇ノ浦の決戦で敗れ、壊滅しました。
ところで、その後、平家の一門はどうなったのでしょうか?
よく、平家の残党の武将たちは「落ち武者」となって各地に散り散りになったと言われますが、それは男性の武将たちの話です。それ以外の女性たちはどうなったのかが、今回のテーマです。
例えば平清盛の妻・二位尼が安徳天皇を抱きながら入水したことや、天皇の母・徳子がその後、建礼門院になったことはよく知られています。
ちなみに、下関の早鞆瀬戸の海岸には竜宮城をかたどった華やかな赤門神宮が建っていますが、安徳天皇の亡骸はここに流れついたと伝えられています。
しかし、平家の女性たちはそれだけではありません。彼女たちはどこへ消えたのでしょうか。
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落人伝説
かつてはこの世の春を謳歌した平家ですが、没落後は人里離れた山奥で、源氏の追及を逃れてひっそりと暮らしていたようです。
今日、平家の落人伝説は日本各地に伝承されています。
源氏と平家とが雌雄を決した源平合戦(一ノ谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いなど)で、平家方は敗退。その過程で発生した平家方の落人・敗残兵が各地に潜んだことは、さまざまな伝承によって伝えらています。
例えば熊本県の五家荘・徳島県の祖谷山・岐阜の白川村・奥能登など、平家集落と呼ばれるものが全国各地に点在していますが、これらは落ちのびた平家の残党がつくった集落といわれています。
こうした残党については平家の落武者と呼ぶ場合もありますが、落ち延びたのは武士だけではないので、厳密には平家の落人と言われることも多いですね。
こうした平家の落人が潜んだ地域を平家谷、平家塚、平家の隠れ里、平家の落人の里などといいます。