浮気をしていた頼朝
尼将軍と呼ばれ、烈女としてのイメージが強い北条政子。しかし、夫である源頼朝とは実は熱烈な恋愛の末に結婚したといわれています。当時としては恋愛結婚は珍しく、ふたりの愛の深さがうかがえる話でもありますね。
さて、夫の頼朝は恐妻家のようでいて、実は「亀前」という側室をおいていました。二人は、頼朝が伊豆にいた頃からの関係で、頼朝は妻の政子が妊娠している最中、亀前を鎌倉に呼び寄せています。そして、亀前を今の鎌倉市の材木座にあった伏見広綱の屋敷に住まわせて通っていました。
そのような頼朝の浮気を政子に知らせたのは、北条時政の後妻である牧の方でした。
その話を聞いた政子は激怒し、牧の方の兄である牧宗親に命じ、亀前がいた伏見広綱の家を破壊させています。さらに、広綱を近江へ流罪にしてしまいました。
この破壊行為は、近世以降の常識からみると、かなりの暴力行為だと言えるでしょう。もちろん、夫の浮気に激怒する政子の感覚の方が現代の私たちに近いわけですが、それにしても家の破壊は明らかな犯罪です。
よって、このエピソードは、政子の気の強さと嫉妬深さを物語る一件として語り継がれてきました。しかし……