実は女性の地位が高かった鎌倉時代!当初は珍しくなかった「女性の地頭」が消えていった理由とは?

「地頭」という役職

鎌倉幕府や室町幕府によって、荘園や公領を管理・支配する「地頭職」が置かれました。

「泣く子と地頭には勝てない」と言われた地頭は、御家人から選ばれていました。彼らは荘園や公領の軍事・警察・徴税・行政などを担当しており、現在でいえば市長や町長のような権限を持っていました。

で、ここで驚きのトリビアです。

武家社会の役職というと、いかにも男性の御家人しか就けなかったようなイメージですが、実はこの地頭職は代々嫡子に受け継がれるのが普通でした。

そのため、鎌倉時代半ばまでは女性が地頭に就くことも珍しくなかったのです。

女性が一族を束ねることも

当時の社会は所領の分割相続が基本で、女性でも、兄弟と並んで所領を相続することができました。本家は、子供の中から嫡子を一人選んで、その役割を継承させていたのです。

多くの場合は相続人として男性が選ばれましたが、これは必ずしも男性である必要はなく、女性が一族の総領になることもあったのです。

また女性の一人っ子の場合は、その子供は自然に嫡子として選ばれることになります。そんなこともあって、女性が地頭職を継ぐのはそう珍しいことではありませんでした。

現代社会では、女性の社会的地位の向上ということがずっと叫ばれ続けていますね。しかし実は、いかにも男性上位社会のようなイメージの鎌倉時代に、わりと当たり前のように女性がある程度の地位と権威を相続していたと聞くとびっくりする人も多いのではないでしょうか。

とはいえ、この「女性の地頭」はずっと存在していたわけではなく、少しずつ姿を消していきます。それには理由がありました。

3ページ目 分割相続の弊害

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