線状降水帯、ゲリラ豪雨、猛暑……。最近では特に異常気象と呼ばれる厳しい天候が多く発生しますよね。台風や大雪なども、人々の生活や移動に大きく影響します。また、晴れ、曇り、雨など、毎日の天気も生活と密接につながっていますよね。
そんな天気についての情報を得るときに、私たちが頼りにするのが天気予報ではないでしょうか。
そこで今回の記事では、日本における気象観測や天気予報の歴史について迫ってみたいと思います。
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明治以前の人々と天気のかかわり
のちほど詳しく解説しますが、日本において本格的に気象観測や天気予報が行われるようになったのは、明治時代以降のことです。しかし、それ以前の時代でも、人々の生活と天気は大きく関係していました。
特に海に囲まれた島国である日本では、漁師・廻船などの船員たちは、天候が荒れているときに海に出ることは生命に関わることであったため、天気の観測・予測を「日和見」と呼んで重視していました。
今でも日和山(ひよりやま)という地名は多くありますよね。これらの山から、船乗りが船を出すかどうかを決めるために日和を見る(天候を予測する)ために利用していました。そのため、港町に多いという特徴があります。
また、江戸時代に船の運行を行っていた平戸藩の山崎家は天気見様(てんきみよう)と呼ばれる天気観測・予報に尽力していたといいます。