縄文・弥生時代のアクセサリー
文字の記録が残されるよりも前から、日本人はさまざまなアクセサリーをつけていたことが分かっています。
縄文時代のアクセサリーとしては、動物の骨・牙・角、貝殻、ヒスイ、木、粘土などで作ったヘアピン、櫛、耳飾り、首飾り、ペンダント、腕輪、足飾りなどが挙げられるでしょう。
さらに弥生時代の墳墓や住居跡からも、多数の装身具が見つかっています。この時代になると大陸との交流によって工芸技術が発達し、さまざまなタイプの装身具を作れるようになったのです。
弥生時代のものとしては、例を挙げると髪飾り、首飾り、胸飾り、腕輪、指輪、耳飾り、カンザシなどが見つかっています。
実は当時、それらの装身具を身に付けたのは女性ではなく男性たちだったと考えられています。
もちろん、現代では男性が装身具を身に付けるのは珍しくありません。ただ古代の装身具はオシャレ用ではなかったという点が大きなポイントです。
大規模な「魔除け」
大昔は、上述のような装身具は魔除けの道具と考えられていました。いわば呪具です。
おそらく古代の人々は、動物や貝の精霊が身を守ってくれると信じていたのでしょう。それで、一家を支える男性が装身具を身につけていたのです。一方、女性たちは、夫や父の無事を祈って、そうした装身具を作っていたのではないでしょうか。
また、宝石や青銅、ガラス製の装身具は魔除けとして大きな効能があるとされ、おもに支配者層が用いたようです。
なかでも、とくに価値があるとされていたのは多くの素材を必要とし、作るのに手間暇がかかる首飾りでした。ヒモを通してガラス玉を連ねた全長1.4メートルの首飾りも発掘されています。
当時の人はそれを三重巻きにして首に巻いていたと思われ、これほど大規模な装身具は、身に付けているだけでも大変な重さだったのではないかと思われます。
今でもジュエリー類は、魔除けあるいは幸運を呼び込むものとされていますね。おそらくこうした昔の感覚の名残なのでしょう。