古代日本の権力者一族「蘇我氏」の知られざる物語!飛鳥石舞台古墳で歴史の息吹を感じよう【その2】

湯本泰隆

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古代日本の権力者一族「蘇我氏」の知られざる物語!飛鳥石舞台古墳で歴史の息吹を感じよう【その1】

奈良県明日香村にある飛鳥石舞台古墳、これはあまりにも有名な古墳ですが、実は「蘇我馬子の墓」とされる場所でもあります。蘇我氏といえば、古代日本で一際目立つ存在。彼らが大和王権の中心に躍り出たのは…

飛鳥寺と仏教の普及

蘇我馬子が建てた飛鳥寺は、日本最初の本格的な仏教寺院でした。当時、飛鳥寺のような大寺院が建設されたというのは、まさに「世界の最先端文化を取り入れた新しい時代が来た!」という象徴だったでしょう。

日本の歴史の中で、仏教が広まっていく過程において、この寺院は中心的な役割を果たしました。

飛鳥寺に安置された飛鳥大仏も、今なおその時代の息吹を感じさせます。

栄華の終焉:蘇我氏の滅亡

しかし、蘇我氏の栄光も永遠ではありませんでした。645年に起きた「乙巳(いっし)の変」で、蘇我蝦夷とその息子蘇我入鹿が暗殺され、蘇我氏は一族としての力を失いました。

この政変を主導したのは中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)。彼らの手によって、蘇我氏の時代は幕を閉じました。まさに歴史の大転換期です。

2ページ目 現代に残る蘇我氏の痕跡

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