古来「地獄の沙汰もカネ次第」なんて言いますが、実際のところはコネ(人脈)も大きな威力を発揮するものです。
今回は平安時代の悪党・小藤太(ことうた)こと藤原高年(たかとし)のエピソードを紹介。果たして彼は、何をしでかしたのでしょうか。
献上品を強奪
時は万寿4年(1027年)、淀川の河尻(現:兵庫県尼崎市か)で強盗殺人事件が発生しました。
被害にあったのは筑前国高田牧(たかだのまき。現:福岡県福津市など)から運ばれてきた献上品です。
雑物を載せた荷駄が襲撃され、運搬に当たっていた高田牧の下人が1人射殺されてしまいます。
強盗犯は4人。その内の1人が小藤太ですが、後の3人については分かりません。
連中は荷駄を奪って逃走。しばらく行方をくらましたのでした。
その後奪われた雑物が返ってきたという記録はなさそうなので、恐らくそのまま売りさばかれなどしたのでしょう。
逃亡の末に捕らわれる
そんなことがあった翌長元元年(1028年)9月、小藤太が捕らわれたという情報がもたらされました。
小藤太らは近江国甲賀郡(現:滋賀県甲賀市など)に本拠地を構え、しばしば上洛して馬などの強奪を繰り返していたと言います。
それがとうとう捕らわれたということで、被害者らはさぞかし喜んだことでしょう。
「あの甲賀の小藤太めが捕まったぞ」
「ヤツも焼きが回ったか」
「いよいよ年貢の納め時さ……」
さぁ悪党がどんな最期を遂げるのか。その前に一味の情報を聞き出して、芋づる式に悪党どもを一網打尽と思っていたのですが……。