まひろ、いよいよ内裏へ!紫式部の先輩女房たちを予習 ほか…大河ドラマ「光る君へ」8月25日放送振り返り

まひろ(紫式部。吉高由里子)の書いた物語を一度は遠ざけた一条天皇(塩野瑛久)ですが、やはり亡き妻をモデルにした女性がどのように描かれていくのか、知らずにはいられません。

続きを読みたいとの要望を受けて、藤原道長(柄本佑)からスカウトされたまひろ。華やかだけど嫉妬と陰謀渦巻く内裏へと乗り込んでいくことになります。

NHK大河ドラマ「光る君へ」第32回放送「誰がために書く」今回はまひろの女房デビュー前夜が描かれていました。

それでは今週も、気になるトピックを振り返っていきましょう!

第32回放送「誰がために書く」略年表

寛弘2年(1005年) まひろ36歳

※小=藤原実資『小右記』/御=藤原道長『御堂関白記』/権=藤原行成『権記』/紫=『紫式部日記』

今回は藤原道長を牽制するため、一条天皇が藤原伊周(三浦翔平)を強引に取り立てていく回でしたね。

まだ潰えることのない伊周の野望は、果たして成就するのでしょうか?

そして道長に接近する藤原隆家(竜星涼)は敵か、あるいは……道長を案じる藤原行成(渡辺大知)にとって、胃の痛い日々が続きそうです。

「儀同三司」藤原伊周について

劇中で「儀同三司(ぎどうさんし)」と呼ばれていた藤原伊周。この称号は正式な官職ではなく、大臣に准じる存在に列せられた伊周の自称でした。

儀同三司とは「儀(待遇)を三司と同じくする≒准じる」という意味。ここでの三司とは左大臣・右大臣・内大臣を指します。

元は歴代中国王朝(後漢~元王朝)で用いられたもので、准大臣(じゅんだいじん/おとどになずらう)の唐名として用いられました。

寛弘2年(1005年)2月25日に一条天皇から「大納言より上で大臣の下」に列せられたのをきっかけに、後の寛弘5年(1008年)には准大臣として封戸一千を与えられます。

しかし周囲は儀同三司の称号を受け入れず、正式な官職にもとづき「前帥(さきのそち。元・大宰府権帥)」などと呼びました。

儀同三司の自称は古墳時代の倭王武(わおう ぶ。雄略天皇か?)が最古とされますが、准大臣は伊周が史上初。

そのためか「小倉百人一首」に登場する高階貴子(板谷由夏)は後世「儀同三司母」と呼ばれています。

3ページ目 赤染衛門の夫・大江匡衡について

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