身分の低い女性が身分の高い男性と結婚する。そんなドラマのようなシンデレラストーリーを実際にやった方が江戸時代にはいました。
その人物の名前はお玉で、後に徳川綱吉の生母・桂昌院(けいしょういん)として知られるようになります。
今回は玉の輿の語源にもなったお玉のシンデレラストーリーを紹介します。
元は八百屋の娘
お玉は諸説ありますが、寛永4年(1637)に京都にある八百屋の娘として生まれたとされています。お玉がまだ幼い時に父が他界し、母は武士である本庄正宗の元へ奉公に出ます。
そこで母が正宗の目に留まり再婚することになり、お玉は武家の娘になりました。
そして、お玉が13歳の時徳川家光の側室・お万の方の部屋子(召使い)として仕えるために京都から江戸へ行くことになります。
ある時、お万の方の部屋子だったお玉を家光の乳母・春日局(かすがのつぼね)は家光の側室にするべく自身の部屋子としてスカウトしました。