清少納言と離婚した体育会系な先夫・橘則光の詠んだ和歌がなかなかメルヘン!【光る君へ】

平安文学を代表する随筆『枕草子』で有名な清少納言(せい しょうなごん)には、二人の夫がいました。

先夫は橘則光(たちばなの のりみつ)。後夫は藤原棟世(ふじわらの むねよ)と言います。

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今回は先夫の橘則光について紹介するのですが、清少納言が橘則光と離婚した理由は性格の不一致。文才あふれる清少納言に対して、橘則光はどちらかと言えば体育会系でした。

盗賊の襲撃を受けた時は返り討ちにするなど武勇や胆力に優れていたものの、友人に対して「和歌を詠みかけたら絶交する」と宣言したり、答えに窮するとワカメを頬張ってやり過ごしたりとあまり機転の利く人物ではなかったようです。

とまぁ風流典雅にはとんと無縁な橘則光でしたが、実は勅撰和歌集に和歌が採録されている勅撰歌人でもありました。

平安時代後期の『金葉和歌集(源俊頼撰)』に一首だけですが、それでも歌人とすればこの上ない名誉。果たしてどんな和歌だったのでしょうか。

逢坂の関にて

陸奥へまかりけるときあふさかの関よりみやこへつかはしける

われひとり いそくとおもひし あつまちに かきねのうめは さきたちにけり

※『金葉和歌集』第六巻より

(陸奥へ罷りける時、逢坂の関より都へ遣わしける)
(我一人 急ぐと思いし 東路に 垣根の梅は 先立ちにけり)

橘則光は陸奥守(むつのかみ。陸奥国の国司長官)に任じられ、さっそく現地へと赴きました。

京の都を出立し、山城国(京都府南部)と近江国(滋賀県)の国境にある逢坂関(おうさかのせき。滋賀県大津市)までやって来た時に、この和歌を詠んだと言います。

【意訳】私だけが東路(あづまぢ。東国≒陸奥国への旅路)を急いでいると思っていたのに、垣根に咲いている梅の花は私より先に来ていたのだな。

梅の花が先に逢坂関へ来て、後から来た則光を出迎えてくれた……そんなメルヘンな感性が詠まれているようです。

遠く陸奥国への道のりも、梅の花と一緒であれば寂しくない。そう自分を勇気づけたのかも知れませんね。

4ページ目 橘則光のプロフィール

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