NHK大河ドラマ「光る君へ」皆さんも楽しんでいますか?
まひろ(紫式部)の前に現れた恋多き女性・あかね(和泉式部)。当時「親王様」と熱愛中で、自由奔放に楽しんでいる様子が描かれました。
和泉式部の恋人である「親王様」とは敦道親王(あつみち)のこと。果たしてどんな人物だったのでしょうか。
そこで今回は敦道親王について、その生涯をたどってみたいと思います。
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二人の妻たち
敦道親王は天元4年(981年)、冷泉天皇の第4皇子として、藤原超子(ちょうし/とおこ)との間に誕生しました。
超子は藤原道長の姉であり、敦道親王は道長の甥に当たります。
同母兄弟には光子内親王(こうし/みつこ)・居貞親王(いやさだ/おきさだ。三条天皇)・為尊親王(ためたか)がおり、敦道親王は末子でした。
外祖父の藤原兼家から大変に可愛がられてすくすく成長。13歳となった正暦4年(993年)に元服、四品(しほん。親王の位階)に叙せられます。
加冠(成人の証である冠を被せる役)を左大臣の源雅信が、髷を結う理髪を参議の藤原公任が務めました。
やがて大宰帥(だざいのそち)、すなわち大宰府の長官に任じられたことから、帥宮(そちのみや)と呼ばれるようになります。
ちなみに大宰府の現地に赴任することはなく、実務上のトップは大宰権帥(ごんのそち)が務めました。
やがて中関白・藤原道隆の三女を妃に迎えますが、相性が悪かったのか間もなく離婚してしまいます。
もしかしたら、中関白家の没落を悟って早々に切り捨てたのかも知れません。
後に藤原済時の娘と再婚、正妃に迎えます。