『氷川清話』の矛盾
勝海舟(かつかいしゅう)は、幕末に最も活躍した「伝説の幕臣」の一人です。
黒船が来航すると、彼は海岸の防備強化を説く意見書をいち早く提出。先見の明が評価され、外国や尊攘勢力との交渉で活躍しました。
また討幕派が勢いづき、新政府軍によって江戸が攻撃されようとしたときも、勝は得意の交渉術で新政府側と互角にわたり合っています。
その結果、西郷隆盛との直接会談を実現し、江戸城の無血開城に成功。江戸が火の海となることを回避した――。こうした功績から、勝は高く評価されてきました。
こうした政治的な実績はよく知らなくても、「坂本龍馬の師匠」や「チャキチャキの江戸っ子」などのイメージで、彼のことを捉えている人は多いでしょう。
しかし現在、勝の評価は大きく見直されています。
上述の通説は勝の証言をまとめた『氷川清話』に多くを依拠していますが、他の史料や証言と照らし合わせると、この証言録には矛盾が多いことがわかってきたのです。
例えば、咸臨丸を指揮して太平洋を横断したというエピソードは有名ですが、実際には出港直後に船酔いで寝込み、同乗したアメリカ水兵たちが指揮をとっていました。
対馬を不法占拠したロシア軍を英国の協力で退散させたという「対馬事件」も、実際に動いたのは箱館奉行衆です。
『氷川清話』では自分の功績のように記していますが、事件が起きた時、勝は江戸にいました。