「スパイ」という存在がいることは知っていても、実際に会ったことがあるという人は、ほとんどいないのではないでしょうか。
一般的にスパイというと、派手なアクションが人気の海外映画の主人公や、洋の東西を問わず実在した男女のスパイを思い浮かるかと思います。
日本で有名な実在のスパイとして名前が挙げられているのは、古くは明治・大正期の陸軍軍人などですが、実は平安時代には「子どものスパイ集団」がいた……という話があるのです。
強権・平清盛が子どものスパイを使っていた!?
時の絶大な権力者が、幼い子どもを集めて京の都中を探り歩かせ、政権の悪口をいうものがいたら片っ端からリークするスパイ活動をさせていた……という話が伝わっているのは、平安時代末期の武将で、武家としては初めて太政大臣まで上り詰めた平清盛です。
日本史には興味のない人でも、「平家にあらずんば人にあらず」という言葉を耳にしたことはあると思います。
平時忠(たいらのときただ/清盛の妻の弟)の発言なのですが、いかにも平清盛が率いる平家一門の驕りを象徴するような言葉で、平清盛自身も自信家・野心家の権力者というイメージが強いですよね。
そんな強権の平清盛が、自分に対する都の人々の悪口に神経質になり、幼子にスパイ活動をさせていたとは、ちょっと意外にも思えます。