旧日本軍には空軍が存在せず、陸軍と海軍がそれぞれ航空隊を運用していました。
海軍航空隊と言えばゼロ戦こと零式艦上戦闘機が有名ですが、他にもたくさんの戦闘機が存在します。
その中には実戦配備されることなく使命を終えた戦闘機も存在しました。
今回はドイツ生まれの戦闘機・仮称H式艦上戦闘機(かしょう エイチしきかんじょうせんとうき)を紹介。
果たしてどのような運命をたどったのでしょうか。
ドイツ・ハインケル社へ開発委託
時は大正15年(1926年。昭和元年)4月、海軍は三菱航空機・中島飛行機・愛知航空機(当時は愛知時計電機の航空機部)の三社に対して新型戦闘機の試作開発を発令(注文ではなく命令)しました。
当時配備されていた一○式艦上戦闘機(ひとまるしき~。大正10・1921年配備のためそう呼ばれた)が陳腐化しつつあったので、後継機を出したかったのです。
命令を受けた愛知航空機では、当時技術提携していたドイツのハインケル(Heinkel)社に開発を委託しました。
「今回は不時着水時の浮揚能力を重視したいとの意向だ」
機関部の故障などによって不時着水した際、機体が水没してしまっては、せっかく助かった生命も失われてしまいます。
限りある搭乗員が損なわれないよう、機体が浮くことを求められたのです。
「分かりました」
ハインケル社ではさっそく試作機の制作にとりかかり、翌昭和2年(1927年)に完成・2機が日本へ輸入されました。
名前は「HD-23」。日本ではハインケル社の頭文字をとってH式艦上戦闘機と仮称されます。