天皇暗殺は「豪族たちの総意」?
日本史上唯一、天皇を暗殺させた人物。それが蘇我馬子(そがのうまこ)です。
馬子による、有名な崇峻天皇暗殺の経緯は『日本書紀』によると次の通りです。
彼は、朝廷の内乱に勝利して権力を確立すると、甥の崇峻天皇を即位させて政治の実権を握りました。しかし崇峻はお飾りの天皇であることに満足できなかったとされています。
そしてある日、天皇は献上されたイノシシの亡骸を見て、「いつかこのイノシシのように、憎い相手の首を斬り落としたいものだ」と口走りました。
この発言を知った馬子は、自分が天皇から命を狙われていると危険を察知。そこで儀式の席上、部下に命じて独断で天皇を殺害したのです。
こうしたストーリーに基づき、馬子は独断で天皇殺害という歴史上未曾有の事件を起こしたとんでもない人物としてイメージされてきました。いわばこれが従来の「通説」だったわけです。
しかし現在、この通説は否定されています。天皇殺害は馬子が一人で企んで実行したわけではなく、有力豪族たちの合意のもとで実行されたと考えられているのです。
つまり馬子一人が独断で暗殺計画を立てたのではなく、今の法律の用語で例えるなら共同謀議があったということですね。
今回は、そうした現在の通説についてみていきましょう。