昭和から平成初期、オカルトやUMAのブームの中で話題になっていた「ツチノコ」。全国でその目撃例が相次ぎましたが、1989年に岐阜県の東白川村が村の広報誌でツチノコを取り上げたのがきっかけとも言われています。
そんな東白川村には、お寺が一軒もありません。日本に7万5000もあるとされるお寺が一つもない自治体は、全国でここだけ。
しかし、村の役場前には「南無阿弥陀仏」と彫られた碑がたっています。
これは一体どういう由来があるのでしょうか?
今回は、日本で唯一のお寺のない自治体にある「南無阿弥陀仏の碑」から宗教の歴史を紐解いていきます。
ごいっしょうさまと呼ばれ親しまれる石碑
村役場の前にある石碑は、高さ2.5mにも及ぶ大きなもの。「南無阿弥陀仏」と彫られた一文字ごとに一升の米が入るとされたことから「ごいっしょうさま」と呼ばれて村人から親しまれてきました。
しかし、よく見てみるとこの石碑は真っ二つに割れています。
実はこれ、割れたのではなく「割られた」のです。しかも、この石碑に手を合わせていた人たち自身の手によって。
一体何のために、この石碑は悲運をたどることになったのでしょう。