まとまりを欠いていたドイツ
今回は明治時代に作られた大日本帝国憲法が成立するまでの経緯と、それにまつわる誤解について解説します。
かつての日本史の教科書には、「大日本帝国憲法は君主権の強いドイツの憲法を手本とした」という表記がなされており、あたかも大日本帝国憲法のモデルがドイツの憲法だったかのように記述されていたものです。
では、具体的に当時のドイツはどんな国だったのでしょうか。
そもそも当時のドイツはヨーロッパの一地方名を示すような呼称で、神聖ローマ帝国という巨大な枠組みの中で、領邦と呼ばれた小国家が集合していた地域でした。
それぞれの領邦は独立性が強く、各々が抱える国内事情や歴史的背景の違いから、一つにまとまることはありませんでした。
より具体的に言えば、カトリックかプロテスタントか、フランスとの経済的繋がりが深いか、東欧との繋がりが深いかなどによって、各国の内実は異なっていたのです。
1840年代には経済的にまとまって統一をはかろうとする動きも見られましたが、頓挫してしまいます。