「四人目の妻になれ」
プロポーズの言葉としては最悪の部類に属するでしょうが、藤原宣孝が紫式部に求婚したのは、まさにそういうことでした。
紫式部と結婚する以前から3人も妻がいた藤原宣孝。果たして彼女たちは、どういう女性だったのでしょうか。
今回は『尊卑分脈』より、藤原宣孝の妻たちを紹介したいと思います。
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藤原宣孝の妻たち一覧
- 正室・藤原顕猷女(あきみちのむすめ)
- 側室・平季明女(すえあきらのむすめ)
- 側室・藤原朝成女(あさひらのむすめ)
- 側室?紫式部
『尊卑分脈』から確認できる藤原宣孝の妻たちはこちらです。一人ずつ見ていきましょう。
宣孝の正室・藤原顕猷女
生没年不詳
子供:藤原隆光(たかみつ)
父親の藤原顕猷は藤原南家巨勢麻呂流の末裔で、紫式部(藤原北家良門流)とははるか遠縁の存在です。
【略系図】
……藤原鎌足-藤原不比等-藤原武智麻呂-藤原巨勢麻呂-藤原真作-藤原三守-藤原有方-藤原直行-藤原邦統-藤原顕猷……
その娘とどのような関係にあったかは分かりませんが、仮に面識があったとしてもそう親密ではなかったことでしょう。
息子の藤原隆光は各地の国司を歴任し、最終的には正四位下・備中守となりました。
宣孝の側室・平季明女
生没年不詳
子供:藤原頼宣(よりのぶ)
父親の平季明は光孝天皇の末裔(光孝平氏)で式瞻(しきせん)王の子として誕生。天暦年間(947~957年)に皇族の身分を脱して臣籍降下しました。
【略系図】
光孝天皇-是忠親王-式瞻王-平季明-女子(宣孝室)
父親の代に臣籍降下しているとは言え、皇族の血を濃く引いていることが、彼女の性格や行動にどのような影響を与えたのか興味深いところです。
息子の藤原頼宣は従四位下・陸奥守となっています。