古今東西、死を象徴するモチーフと恐れられ怖がられている骸骨・髑髏・スカル。
【前編】では、それらの違いや、国や宗教によっては身に付けていると「死後も地獄に落ちない」などの意味があったり、生きた魂を解放する「自由の象徴」として愛されていたることをご紹介しました。
人を喰らう巨大な骸骨の妖怪「がしゃどくろ」は奇想の絵師・歌川国芳が生みの親だった!【前編】
そして【後編】では、日本には巨大な骨の妖怪「がしゃどくろ」がいること、江戸時代の人気浮世絵師・歌川国芳の作品が「がしゃどくろ」の誕生に大きな影響を与えたことについてご紹介しましょう。
無念・怨念・飢餓……が集まり巨大化した「がしゃどくろ」
「がしゃどくろ」とは、戦死したり野垂れ死したりして、誰にも埋葬をされることなくそのまま遺体が朽ちて骸骨になった数多くの者たちの無念・怨念・飢餓などが集まり、巨大化な骸骨となった妖怪。
「がしゃどくろ」という名称は、夜中になると巨大な骸骨がガシャガシャと骨と骨がぶつかり合う音を響かせながら街中を徘徊し、生きている人間を発見すると握りつぶしては喰らっていることから、その名前が付けられたそうです。
また、飢えに苦しみつつ死んでいったので、骸骨になった今でも飢餓感に支配されて人を襲うところから「餓者髑髏」とも呼ぶ……という説もあります。
いずれにしても、巨大な骸骨が真夜中に歩き回っている姿を想像するだけでも恐ろしいですよね。
古くから日本各地に伝わる妖怪伝説に登場する妖怪とは違い、この「がしゃどくろ」の歴史は意外と浅く昭和中期の頃だそう。
ただ、江戸時代の浮世絵師・歌川国芳が描いた髑髏の作品が影響を与えて「がしゃどくろ」の誕生のきっかけになった……といわれています。