紫式部、ホームシックから結婚を決意。都から離れての雪国暮らしの中で詠まれた数々の歌「光る君へ」

歴史 好き太郎

父・為時の任官

大河ドラマ『光る君へ』で話題沸騰中の紫式部ですが、彼女は生涯で一度だけ「田舎暮らし」を体験しています。

それは、父の為時が、越前守として任官した時のことです。

もともと為時は小国である淡路国(兵庫県淡路島・沼島)に任ぜられていたのですが、それに不満を抱いた為時が、朝廷へ上申書を提出。最も得意とする漢文で、当時の一条天皇への思いを込めた詩を書き送りました。

そしてそれが、時の最高権力者・藤原道長の目に止まり、その詩の美しさに感動して、越前守として為時を採用することにしたのです(これは一条天皇本人だったという説も)。

ちなみに、もともと越前守には源国盛が任ぜられていましたが、それは変更となったわけです。国盛は突然配置換えをさせられたショックもあり、そのまま没してしまいました。

この時のエピソードは『今昔物語集』『今鏡』『古事記談』などから確認できます。

そして為時は、長徳2(996)年に紫式部を連れて越前に赴任しました。

この時、式部は27歳。当時の常識としては「行き遅れ」と呼ばれても仕方のない年齢です。為時が、既に婚期が遅れている彼女をわざわざ遠国に同行させたのは、彼女の傷心を癒すためだったと推測する人もいます。

当時の式部は、「方違え」を口実にやってきた朝顔の男への失恋で傷ついていました。その彼女を、ひとまず京から離す目的があったということです。

3ページ目 心細さが詠ませた歌たち

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