床入りにはなんと監視役が!江戸時代、大奥での「夜のお作法」はかなり厳しく複雑だった

Japaaan編集部

将軍ならいつでも大奥はハーレム!…とはいかなかった

大奥とは、江戸城内の将軍の正室や側室、それに仕える御殿女中たち、更に将軍家の子女たちが生活をしていた、いわば「将軍のプライベート空間」と言うべき区画のことです。ここは将軍以外は男子禁制で、最も多い時には1000~も3000人ともいわれる女性たちが住んでいました。

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男性の皆さんにとっては、歴代将軍たちが羨ましい限りでしょう。

千代田之大奥 歌合 橋本(楊洲)周延画/Wikipedia

しかしそんな将軍でも、いつも「大奥は俺だけのハーレム♪」というほど甘くはなかったようです。

そもそも床入りできない日が、月に半分も!?

「毎晩大奥の女性を取っ替え引っ替えしてウハウハ♪」将軍の夜の生活を、このように妄想する人もいるでしょう。しかし大奥には、将軍といえども床入りNGの日がかなりありました。

たとえば将軍には毎月、歴代将軍の月命日の墓参りをするという大切な仕事がありました。その前日には身を清めるための「精進」という名目で、将軍は大奥入りを遠慮するのが決まりとなっていました。

このため幕末の将軍になると、実に月の半分くらいは大奥入りを遠慮しなければならない状況となっていたのです。

また将軍と床を共にする女性も、身分に関係なく将軍がタイプだと思った女性を自由に選び放題!ということではなかったようです。

2ページ目 将軍に名前を聞かれたらチャンス!でも床入りには複雑なルールが

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