日本史上、名前が伝わっている最古の画家は百済河成(くだらの かわなり)と言うそうです。
現存する作品はないものの、数々の伝説を残す名匠でした。
河成の描いた絵はまるで本物さながら。川を描けば水が流れ、せせらぎが聞こえんばかりだったと言います。
今回はそんな河成と、彼とライバルだった飛騨工(ひだのたくみ)のエピソードを紹介。
飛騨工も相当ハイレベルなアーティストだったそうですが、どんな闘い?を演じてくれるのでしょうか。
第1ラウンド・どの扉からも入れない!
ある日のこと。飛騨工が河成を自宅に招きました。
「やぁ、今日はお招きありがとう」
「いやいや、こちらこそ来てくれてありがとう。君に是非とも見てほしい作品があってね」
「そうかい。それは楽しみだ」
飛騨工は平安京遷都の際、豊楽院(ぶがくいん)を造営。その名を天下に轟かせた建築家でもあります。
「して、作品はどこにあるんだい?」
「庭に小さな堂を建てて、その中に納めてある。もてなしの用意をしておくから、先に行って見ていてほしい」
「分かったよ」
さて、河成が庭に出ると、相変わらず見事にあつらえてありました。その片隅に、小さな堂が建っています。
「やぁ、これはたいそう見事だな」
堂は東西南北に扉がついており、すべて開け放たれています。
さっそく河成が南の扉から入ろうとすると、どういうわけが扉がひとりでに閉じてしまいました。
開けようとしても開かないので、仕方なく西側へ回り込みます。
すると不思議なことに、今度は西側の扉がひとりでに閉じてしまい、南側の扉が開いたではありませんか。
西側の扉が開かないので、今度は北側の扉に回り込んだ河成。しかし又しても北側の扉が閉じて、西側の扉が開いたのでした。
河成はだんだんイライラしてきます。急いで東側の扉へ回り込むと、もう予想どおり東側の扉が閉じて、北側の扉が開きました。
「もう、訳が分からん!」
堂に入ることをすっかり諦めた河成。縁側より庭に下りると、飛騨工が大笑いで言います。
「やぁ、引っかかったね。君に見てほしかったのはこの堂さ。どうだい、見事なカラクリだったろう?」
扉がひとりでに開いたり閉じたりする仕掛けをしておいた飛騨工。もくろみが成功して大満足でした。
ちなみに南側の扉が閉じた時、時計回り(西側)でなく反対回り(東側)も試したのでしょうか。
ともあれ一杯食わされた河成は、プリプリして帰ったのでした。