「空白の18年間」の宰相は?
幕末から明治期にかけての重要人物を挙げよ、と言われたら、皆さんは誰が思い浮かぶでしょう? 徳川慶喜、大久保利通、西郷隆盛、伊藤博文……。おそらくさまざまな名前が出てくると思います。
実は、おそらくほとんど誰もが名前を挙げないと思われる人物で、「忘れられた最重要人物」がいます。もちろんそういう人も細かく取り上げればたくさんいるのですが、ここでご紹介したいのは三条実美(さんじょう・さねとみ)という人物です。
そもそもの疑問として、近代日本の歴代宰相について考える場合、初代は伊藤博文ということで本当に合っているのか、というのがあります。
確かに、伊藤博文は「初代内閣総理大臣」です。しかし総理大臣の職が設けられたのは明治18年のこと。王政復古の大号令によって明治新政府が発足してからの18年間、総理大臣にあたる「宰相」は誰もいなかったのか? と疑問があってもおかしくはありません。
「宰相」とはもともとは中国の言葉で、天子を助けて政治を行った官のことを言います。
よって考え方としては、職名が内閣総理大臣ではなくとも、王政復古以降の18年間、明治政府の最高権威だった明治天皇の下で政治を執り行ったのは誰だったのか、という話になります。
そんな話の中で見逃すことのできない重要人物が、公家出身の三条実美なのです。